行為(karma)の根幹にあるのは「幸せになりたい」という思い
何かを得たいと思うことも、仕事を辞めたいと思うことも、そうすれば私は今よりも幸せになれると思っているから
「幸せになりたい」が行為の根幹ということは、生きている間の究極のゴールが「幸せ」ということになる
幸せになるためには苦は避けなければいけない。幸せになるとは苦から自由になることとも言える
では苦はどこからくるのか?
私を形容する言葉=私を制限するものたち、思い込み、欲、執着
この世界に現れているモノや現象は一定ではなく、すべて無常
よってそれらに束縛されることは本来ない(はず)
無常であることをわかっていない故(無知)により苦しみは生まれる
ではどうすればいいのか
この世界に現れているものはすべて無常であることを理解し、自己の本質(すべて無常なのだったら「私」って何?)を学び理解するにはマインドの清浄さが必要
法句経(ダンマパダ/釈尊が語った423編の詩句)一番二番にも書かれている
1 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。──車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。
2 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。──影がそのからだから離れないように。
ダンマパダ<中村 元訳>
清らかな心であればすべて幸福であって、汚れた心は一切の不幸のもとである
何はなくともまず心をきれいにしていく
どうやって?その方法を説いているひとつにインドの聖典ヴェーダがある
幸福の追求のために必要な知識を教えてくれるのがインドにある聖典ヴェーダ
自己の本質を理解するための心の清浄さや知性を育むための生き方や在り方が示されている。その方法を盲信するのではなく論理的に考え実践していく。
そんな聖典ヴェーダを隅っこの方で細々と学んでいる私のお気に入りはヴェーダーンタ(ヴェーダの最後の部分/ウパニシャッド)の入門書であるサーダナパンチャカム
修行者(サーダカ)が歩む道が段階的にまとめられ、全5節40訓示というコンパクトさが魅力
人生の究極のゴール「幸せ」は修行者も私たちも同じ。なすべきこと、なすべきでないことが書かれているので非常にわかりやすい
このような聖典や経典の教え(インドだけでなく、仏教など自己の本質を教えてくれるもの)に触れる機会のない方はどうすればいいのか
まずは手初めてとしてこの2つから初めてみてはどうでしょうか
①幸せになりたいという意志で幸せになるように行動する
自分の意識をコントロールする。主観的ではなく客観的に観る練習をする。明確に観ることで気づき人格を良い方向に変える
②自分の行為に責任を持つ
自らの行為の結果はすべて自分に返ってくるから、結果はどうなるか考えてから行為をする
愛聴しているpodcast番組OVER THE SUN のパーソナリティでありコラムニストのジェーン・スーさんも言ってます
自分を不幸せなところにおいたままにしない。自分で選択したことの責任をとる。大人の責務でこの二つくらいだもんね。
「ひとまず上出来」ジェーン・スー
大人の責務を果たしましょう
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