「人は何のために生きているのか」
高校1年の時、国語の時間に問いかけられた言葉です。
何故この質問を先生が投げかけたのか。この後の授業の内容は何だったのか。まったく覚えていません。
それでも、あのとき懸命に考えたこと。緊張しながら自分の考えを述べたこと。視覚と体感で覚えているということはよっぽど強烈な印象だったのでしょう。
「死があるから生きています」
というのが私の答え。逆説的で小憎たらしい生徒ですね。
あの時は「死ぬことがわかっているから生きているよな」と幼いながらに一生懸命考えたんです。「死ななかったら生まれてないかも」とかね。「死」のためにっていうのは直接の目的ではないと今は思います。
で、先生の答えはなんだったかというと…
「人は幸せになるために生きています」
「えーーーーーーーーーー!!!!????」ってその当時の私は思いましたよ。「今、幸せじゃないんですかぁ???」ってね。
1+1=2のような明確な答えのある問ではないけれど高校1年生にとったら先生の答えは絶対に思えてしまうわけで…しっくりこなくてなんだか悶々としたのを覚えています。
深い意味はなかったとしても「幸せになるため」=「幸せじゃない」とも捉えられる。(そもそもそんな壮大な問かけをするのに深い意味なく言うものじゃないと思うけど)
この質問がね「あなたは何のために生きていますか?」だとまた随分答えも変わってきます。「あなたは」であれば先生の答えにも納得です。「そうですか、あなたは幸せになりたいと思っているんですね。うんうん。」
それが「人」はってことだったので私はそうは思えなかったうえに、その後それに対する議論もないまま別の話題に変わったことで消化不良。消化不良だったからこそこうして考えることができてるからいいけど。
私はね、人間はすでに幸せだと思うんですよ。この記事でも言ってたように忘れているだけだと思うんです。
参考:【みんないつか思い出せますように】
酷い目にあっている人たちにもそんな言えるんか!と言われればそれはまた別のお話なので、ここではその議論は避けます。
今、同じ質問を投げかけられたら…
「至福そのものであることを思い出すために生きている」
そして限りがあるからこそ生を味わうのだと思う。
最初に投げかけられた時から20年経った今。
当時の先生の年齢を上回っているだろう私。
いろんな経験や積んだ今の私の価値観での答え。
数年後はまた変わっているかもしれませんね。
私の今の考えが絶対ということではなく、この記事を読んだことで考えるきっかけになれば嬉しいです。
「人は何のために生きているのか」
みなさんはどう思いますか?
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