先日、お恥ずかしいことではありますが…病院に行くことを頑なに拒んだ結果、動けなくなり救急車で運ばれるということがありました。救急隊員の方にもERの方々にも本当に申し訳なくて、辛うじて動けるうちに自ら病院に行くべきだったと反省しきりです。
意識はしっかりしているのに腹から声がでないというのはこうも人を頼りなくさせてしまうものなのですね。ERに到着したときに、意識確認のために畳みかけるように質問をしてくる先生の質問に「うぅぅん(うん)」とか「きょうはぁしちがぁつのぉ…」とまったくのトンチンカンなテンポで答え、ずっとタメ口使ってました。いや、体調がわるいんだからしょうがないんだけど、意識ははっきりしてるから「私、何言ってんだ(笑)」と心の中では笑ってるわけです。
症状はというと、生死に関わる病気でもなく、数時間後には自分の足で歩いて帰れたので本当によかったです。
クラスを急遽キャンセルさせてもらったり、救急車を使ってみなさんのお手を煩わせたり……反省しています。以後気を付けます。。。(病院に行きなさいというアドバイスを素直に受け止めます)
で、まったく起き上がれず動けなくなって(動くと嘔吐する)いたものの「これは命の危険があるわけではない」と自分ではわかっていたのですが(自己判断は厳禁と先生に言われましたがね…)、たまたま家に居た夫に「お薬手帳の位置」やらあれはここにあるから持ってきてほしいとか…いろいろ伝えていると「あぁ私は夫を残しては死ねない」と改めて思いました。(何度もいいますが命の危険はまったく感じていませんでした)
夫が先に死ぬこともとてつもなく悲しいので避けたいのですが、夫を一人残してこの世を去るなんてしたら悔いが残って仕方がない。ゴミ出しの曜日も、どこに何がしまってあるのかもちゃんと伝えないと!!!(←そこ?)まぁそんなことだけではありませんがね。
しかし実際に私が先に逝ったら、案外ケロっとしているのかもしれませんねー
この世の中に在るモノやこの世界そのものに執着が強いと「死ぬのが怖いなー」と感じてしまいます。「執着」や「愛着」は生きていくうえで重要なものですが、強すぎて固執すると苦悩に変わります。
死ぬのが怖くて…いつ死ぬかわからないから常に怯えていて…となると「生」を愉しめないし。
「死ぬのが怖く感じることがある」という話を母にすると「自分の親や弟の死を経験してから「怖い」と感じなくなった。」というようなことを言ってました。幸いなことに私の家族は両親も兄弟も健在。これから訪れるであろう別れを乗り越えたら死生観も変わってくるのだろうな。(私が先かもしれないけれど順番的には親ですから)
親が死ぬのをみるのは本当に怖くてたまらないということ。死ぬ瞬間というよりも弱っていく姿をみるのは本当におっかないもので逃げ出したくなる。でもそれを経験するのは他の何にも代えがたい大事なことなんだ。というようなことが吉本ばななさんのブログに書かれていました。吉本ばななさんのお父さんが病に伏して弱っていき、そして亡くなられるときのお話です。
※吉本ばななさんのお父さんは日本の言論界を長年リードし、「戦後最大の思想家」と呼ばれている吉本隆明さんです。
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転載は禁止なので、気になる方は全文をお読みください。
生まれてきたものは暫く存在し、そして死んでいく。
これはこの世の理です。
しかし、親や自分の大切な人たちはその対象ではないような錯覚に私は陥ってるのかもしれない。いつまでも元気で自分を助けてくれるそんな存在。
花は枯れるし、野菜は腐る。そして人間は生まれたら死ぬ。間違いなくこの世界の理がこの世の中の全てのモノに作用していることを、親の死によって真に気づくのかもしれない。
そして深い悲しみを乗り越え、それを理解したときに、自分が最期を迎えるまで、この世界を存分に味わう覚悟がより強くなるのかもしれないな。
そんなことを書きながら、私はまだ親や兄弟、夫、私がいつかこの世の中から居なくなることを信じられません。
今のこの状態は永遠には続かない。後悔しないようにしないとね。
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