私は私に責任を持つ

自分の体も心もはたまた自分の人生も自分自身が良くするという決意が大事

どんなにいい先生に出会ったとしても、どんなに自分ことを助けてくれる人に出会ったとしても、本当の意味で自分を良くしていくのは自分しかいません。

例えば身体に現れている痛み。
その痛みを手術や投薬でとってくれる先生と出会えたとしても、どうしてその痛みが出るようになった身体の動かし方や生活習慣は先生では治せません。

これは身体だけじゃなくて、心でもそうです。

そもそも多くの人が「私」に対する認識を間違っているからややこしいことになるじゃなかろうか。
『私はこの身体でありこの心である』この考え方によって身体や心に主導権を握られて振り回されています。

私の心、私の身体、私の服、あなたの家のように所有格がつくものは本当の意味での「私」ではありません。だって所有格がついてるもん。「私」の持ち物であって「私」ではない。

また、私は先生です、私は女です といった補語も本当の意味での「私」ではありません。私の性質や状態を説明してるだけだから私の一部で「私」そのものではない。

「所有するもの(My…)や属性(I am…)は本当の私ではない」

所有するものや属性は変わりゆくうえに、私そのものや私全体をあらわしてはいません。

私たちは「観察される対象」を私自身だと誤認しがちです。

だから観察する。身体や心も客観的に。

そうして観察している対象を私と一体化しない。移りゆくものとしてみる。

これは「私」なのか「観察している対象」なのかを識別できる力をつけることで日常の悩みが軽くなります。

私の心が悲しんでいても私自身は悲しい人ではない。私の身体が疲れていても私自身は疲れている人ではない。

私は、私の心が不幸だと感じる場所に自分を置いておかない。私は、私の心が幸せを感じるようにする。

体のことも、心のことも、解像度を高めていく。しっかりと見る。客観性を持つ

本当の意味で身体や心、はたまた人生を良くしていくためには自分自身で良くするというマインドが必要不可欠なんですよ

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