「電子は粒であり波である」
二重スリットの実験という動画をはじめてみたときはまったく意味がわからず…
この動画↓
観測すると結果が変わるというなんとも不思議な実験。
でもなんどとなく、この二重スリットの実験を目にすると興味が沸いて本を読んでみました。
マクロの世界であっても私たち人間は原子でできているわけで、その最小単位(といわれている)量子の働きを知ることは自分を知ることにも繋がるのではないだろうか。
量子力学がこの世の根本原理だとしたら、原子一つ一つのみならず、それから構成される物体、人間、天体、そして宇宙全体も同じ原理で説明されるべきものである。
量子のミクロの世界はわたしたちが見えているマクロの世界とは違った動きをします。普通はボールを投げれば動きは予想できます。しかし電子の動きは「確率的に予言できる」といわれています。それにより自然界は確実性ではなく確率性でなりたっているとも言える。
この説に対してアインシュタインは「神はサイコロをふらない」と反論したそうです。でもってその反論が「神のすることを決めることはできない」。ここだけ聞くと子どもの喧嘩みたいですけどね。「おまえのかーちゃんでーべーそー」「おまえ、俺のかーちゃんもへそみたことないやろ!」みたいな。
量子の動きは確実ではない。ではそこにあるということやどのような動きをしているかということを決めているのは測定するということ。測定していることが位置を決める。なぜならば
人間という存在も精神の機能も、世界の中の現象の一つである。だから人間は、共存している複数の状態の外側に立って、全体を見通すことはできない。人間もひとつひとつの状態の中に存在し、自分が存在している状態しか観測することができない。それが人間による観測に対し、量子力学が厳密な予言ができない理由である。量子力学は自然を完全に記述しているが、人間はその一側面しかみることができないのである。
だから二重スリットの実験で観察することによって粒子が粒になったら波になったりすることもあり得るということになるんですね。
ミクロの世界の曖昧さは物質の状態が大きくなると消えていきます。だって私は現にココにいるし、意思や規則をもって動いていますから。どうして曖昧さがなくなるのかはまだ議論されているそうです。そのひとつの主張である「多世界解釈」というのがこの本で述べられています。
ミクロの世界のすべての可能性は消滅せず、すべて別々のストーリーが展開している。人間は量子力学が表す「実在」の内部にあるためひとつの世界しか認識していない。人間は量子力学が記述する世界全体、つまり共存している状態を全部をみているわけではない。全体は人間の観測を超えた存在である。というのが多世界解釈。(私の知識が浅いので、私自身の解釈が間違っていたらすみません)
私の持っている身体や意識を通してしか「私」を見ることができない。それと同じように私たちの目の前に現れている世界を通してしか、全体を見ることができないし、だからこそ見えない。
そんなことを少ない脳みそをプスプスと音を立てながら考えていました。(オーバーヒート気味)
量子力学が語る世界像 [ 和田純夫 ] |
さて、この本に記載はないのですが、カップリングした2つの電子などの複数の物体の量子的状態が、空間的に離れているにも関わらず強い相関を示す「量子もつれ」も興味深い現象があります。
意識事態が量子であり量子もつれという現象があるのであるならば死後の世界はあるということだとか…なんちゃらかんちゃら…いろいろ論議されていたりするわけです。量子と意識の関係もおもしろそうだなーと思うのです。
いろんな人がいろんなことを言うているので、自分の頭でしっかり考えて(マナナン)見極めないとあらぬ方向進んでいく可能性もありますからね。みなさんもお気をつけあそばせ!
本読むのは難しそうだけど、映像なら見てもいいかなって方はこちらをどうぞ!ちょっと長いけどね。
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