楽しいと辛いの間にあるもの

お風呂の栓が抜けたままお風呂の自動湯はりボタンを押してしまっていたときのショックといったら…そりゃもう大きいです(←常習犯)。こんにちは、UjiYogaHouseの人Sachikoです。

 

パーソナルクラス後のお茶タイムで「楽しい」が「辛い」に変わることについて話していました。

■「楽しい」と思って始めたことが「辛い」に変わったとき

山道をよく走っていたころ(トレイルランニング)、始めた当初は上手に走れないんだけど楽しくて楽しくてたまらなくて山に行くのが大好きでした。

少しずつ走れるようになってきて、大会にでることにしました。毎週末の休みには一人でも山に行ってはせっせと練習。お山を行ったり来たり…。

 

そんな週末が数か月続いたある日。朝起きて、カーテンを開ける。「今日もいい天気だな。さて山に…山に…山に…行きたくないよぉ(泣)」知らない間に泣き出してました。「行きたくない。疲れている。でもみんな練習しているし、私も練習しないと。」

あんなに楽しかったのにこの日は辛いという感情が勝っていました。

■楽しかったことが辛いに変わるときには何があるのか

辛くなったんなら辞めればいいやん!って思うけど、好きなんです。好きだからやめたくない。好きなのに辛い。。。。

「辛い」って思うようになったとき、そこには「未来」とか「過去」とか「他人」とか…はたまた「世間」というモノが存在しているように思います。

私の場合、トレイルランニングを始めたときはただただ山の気持ち良さを感じているのが好きでした。「辛い」になったときは「未来」にある大会への不安や、タイムを通して「他人」にどうみられるのかということがとても気になっていました。疲労が蓄積し「過去」は今よりも心も身体も軽く走れていた自分への苛立ち。

「現在」や「私自身」に対する意識が薄れてきたり、一瞬一瞬に移り変わる「今」という時間を純粋に愉しむことができなくなっていたんでしょうね。

「未来」に対して欲望の欲や「他人」にこうみられたいということは悪いことではありません。むしろ「こうなりたい」と思うからこそ行動を起こす力になります。ただ、それが強すぎてそこが目的、すべてのゴールになってしまうと辛くなるのかなとふと思いました。

■「楽しい」と「辛い」の間
VAIRAGYA(ヴァイラーギャ)…離欲、愛着を離れること。

欲を持つことは悪いことではありません。欲がないと生きていけない。何に欲を持つか。どこにゴールを置いているのか。何が本質なのか。

好きなモノにも嫌いなモノにも執着しすぎない。やるべきことをして、どのような結果を得られても私自身の幸せは左右されるものではない。

強い執着があると「失うかもしれない」「手に入らないかもしれない」という不安を生みだしてしまう。

「楽しい」と「辛い」の間には、強い執着があるんだと思う。

執着からくる「愛」は苦悩を生むよね。

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