渡す権利と受け取る権利

「何かいろいろ考えちゃってスッキリしないよー」「カラダがむくむー」

そんな声を聞いた1週間でした。梅雨だからでしょうか?

 

そんな私もタイ旅行の前から「私には何ができるのだろう?」とグルグルと考えていました。考えていただけで悩んでいるわけでもなく、一生懸命考えている自分を客観的にみて「愛おしいやつめ!」と思う日々。

 

昔の私は人に嫌われたくなくて…あっちに良い顔。こっちに良い顔。自分には厳しめ。(周りにも厳しかった!という声が前職の方々から聞こえてきそうですが…笑)

 

周りの反応をきにするから疲れちゃって、結局身動き取れない。その典型的な例が「自分から遊びに誘うことができない」でした。「本当は予定空いているのに遊びたくなくて断らなあかんとか気を使わせるのが嫌」と本気で思っていた。なんと後ろ向きな!!!今書いてて笑ってしまったよ。

 

たどっていくと相手じゃなくて、断られるのが嫌。断るってことは嫌われているのかも…という思考で自分が傷つくのが嫌だったんですよ。結局は。

 

今はどうなのかって言うと、まったくそういうことがなくなったってわけではないですが「私には伝える権利があるし、相手にも選ぶ権利がある」と思えるようになりました。

 

私はAちゃんにプレゼントを届けたい。だから私はAちゃんの家の前までプレゼントを運ぶことができる。扉をあけてプレゼントを手に取るかどうかはAちゃんが決めることができるし、そのプレゼントを使うかどうかも選ぶ権利がある。

こんな感じかな。私たちは渡す権利も受け取る権利も持っているのです。

 

だからクラスのときも、私が伝えることのできることを丁寧に伝える。(もちろんその時、参加者に合わせて伝えたいことは違います。)それを受け取るかどうかを決める権利が皆さんにはあるし、ヨガを続けるかどうかも選ぶことができるのです。

 

そりゃ。続けてもらえたら嬉しい。でも私のガイドが気に食わなかったとしてもヨガは嫌いにならないでほしいな。

 

「私のことは嫌いでも、ヨガのことは嫌いにはならないでください!!」

 

と前田敦子バリに叫びたくなります。叫ばないけど。

 

今の私を受け入れて欲しいと言っているのでなく、みなさんにとって心地良いガイドであるように精進するのはあたりまえ。ただ、自分の行った行為からくる相手の反応に一喜一憂しなくてもいいんだよってことを伝えたいのです。

 

一喜一憂しないということは反省をしないということではありません。良し悪しの判断をつけるのではなく、現実を現実のまま捉えてそこから学びまた進んでいけばいいんです。

 

こんなことを考えているときに力をくれる言葉を引用します

 


 

【バカヴァット・ギーター~神の詩~】第2章

[47]
君には 定められた義務を行う権利はあるが 行為の結果については どうする権利もない 自分が行為の起因(もと)で 自分が行為するとは考えるな だがまた怠惰におちいってもいけない

[48]
アルジュナよ 義務を忠実に行え そして 成功と失敗を等しいものとみて あらゆる執着を捨てよ このような心の平静をヨーガというのだ

 


 

 DSC02608

KobeYogaHouse のあゆみちゃんからもらったサンキャッチャー

光を通してなくてもそれだけでキラキラしています。教室の窓につるしていますのでぜひご覧ください。癒されますよ。

 

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